郷土史あれこれ       

俳聖殿の建設

 上野公園にある俳聖殿(上野市指定文化財)は、昭和17年に建設された、上野市が誇る建造物の一つである。時あたかも芭蕉翁の生誕三百年祭の年。地元選出の国会議員・川崎克氏(以下敬称略)が、十数年来あたためてきた構想を、公園の一角に完成させたものだ。
 川崎はかねてから、芭蕉がその品性の崇高さ、人格の高邁さ、詩想の深遠さをもって、多くの人たちの崇敬の的となっていることをよく知っていた。だから、郷里を同じくする者として、尊敬の念が強く、「芭蕉文庫」を作ろうと、二千余冊の俳諧書を収集。これらを手あたり次第に読破、その研究の成果を『芭蕉は生てる』として出版した。
 同時に、旅人芭蕉を表現する殿堂の建設を、ひそかに夢見ていた。そこで知人の美術家にその構想を打明け、相談したところ、「着想は奇想天外ですこぶる面白い試みだが、芭蕉の旅姿を強いて建築に取入れて表現しようとすると、建築芸術それ自体に無理が生じて、形が整わなくなる」と、否定的な答えが返ってきた。しかし、川崎はそれでも最初の一念を変えず、何度も自分で下絵を描き続けた。
 八角堂の二階は笠、一階の屋根は蓑を着た肩から腰の姿、堂は脚部に当り、廻廊の柱は杖を表現。内部構造は法隆寺の夢殿を参考にした。さらに天井裏の垂木類は全て丸木材を使って、笠の裏を表現しようとした。わび、さびを中心とした茶室建築に準じ、加えて神社仏閣に対する敬虔崇高な重味のある建物、しかも、作る以上は、天下後世に残すに足る建築物でなければならぬ――これが川崎の熱い思いであった。
 建築家の泰斗・伊東忠太博士がこの川崎の構想を絶賛、協力することになった。伊賀焼の瓦で屋根を葺く計画は、「瓦葺は仏閣臭くなる。檜皮なら感じが柔かく、純日本式の感じがよく出るから」という伊東の助言で、檜皮葺に変更。長くもたせるために檜皮を二枚重ねに葺いた。堂内には長谷川栄作の原型を、川崎自らが伊賀焼で焼いた芭蕉の瞑想像が安置されている。