| 郷土史あれこれ |
木目込人形師・筒井景春
木目込人形師・筒井景春(本名・猪久造)さんは、明治三年に藤堂藩の鎧師であった小市郎貴保の二男として生れた。廃藩後は彫刻に転業して、専ら神仏像を彫っていた父より、五歳の頃から彫刻の手ほどきを受ける一方、天神祭の囃し方として楼車に乗った。血筋とその豊かな天分からか、腕がどんどん上達し、終生人形を彫り続けた。
木目込みは桐の木に彫った人形に、木目に合せて金粉、にしきの着物をはめ込む細かい芸で、その作品は天下にも名高く、県からの皇室などへの献上品には、筒井さんの人形がよく選ばれた。
作品の多くは、市内の個人宅に所蔵されているが、菅原神社にはかせ甚・服部孝太郎さんが奉納した模型楼車があり、大谷の法泉寺に阿弥陀如来像(本尊)と聖観音菩薩像(脇仏)、小田町の開化寺には、同寺の再建前の三重塔模型(未完成)がある。この三重塔は明治43年に旧塔が売却されるのを知り、その姿を残そうと作りはじめ、仕事のひまをみて30年かかって製作に励んだが、九分どおりできてそのままになっていたのを、先年、遺族の小槇久子さん(故人)が同寺に寄付された。
筒井さんは昭和31年に87歳でなくなるまで、終生上野市東町の露路の奥に住んだ。極端な名人気質で変り者、入口に「多忙につきどなた様に限らず面会お断り、政談と金儲の話はお断り」と張り紙をして、あまり世間とつき合わなかった。
そんな人間嫌いの筒井さんと親交のあった人に初代上野市長の杉森萬之輔さん(俳号・干柿)がいる。杉森さんは毎土曜日の午後、筒井宅を訪問し、日常の動静を写生、5年間の成果として古稀の記念に句集『人形師』を発刊。「絵具とく火に酒温め人形師」にはじまる百句が収められている。三回忌には、念仏寺の墓地に「行く春を三味線ひいて人形師」の句碑が建立、七回忌には芭蕉翁記念館で大々的な景春展が開かれた。