郷土史あれこれ       

昭和天皇の巡幸

  敗戦国となって打ちひしがれていた日本国民を、最初に精神的に支えたのは、人間宣言をした昭和天皇であった。
 昭和21年2月19日の神奈川県を皮切りに、翌22年には近畿4県をはじめ、東北6県、甲信越3県、北陸3県、中国地方5県 精力的に全国巡幸をされたからである。
 伊賀地方への巡幸は昭和26年11月20日であった。この日は前日までの雨がうそのように晴れ上がり、奈良を発った陛下のお召列車は定刻に四分遅れて九時五十四分伊賀上野駅に到着。ホームには川崎秀二氏ら地元国会議員が出迎えた。待合室にはゴザを敷いてお年寄りが座って陛下の通過をお辞儀で迎えたため、人間天皇の顔を見た者はいなかったとか。写真家の濱邊喜代治氏はホームに降り立つ陛下を撮影後、すぐにお召列車の中を通り抜けて、再び陛下がホームを進まれるのを前方からシャッターを切ったという貴重な体験の持ち主である。
 陛下のお車は通称桜並木を通って上野小学校(現在の西小と市役所の位置にあった)の上野名賀郡歓迎場に到着。北田名張町長が先導して場内をが代を合唱。中井徳次郎上野市長の発声で万歳をすると、陛下は帽子を持った右手を高々と挙げて歓呼の声に応えられた。
 このあと陛下のお車は、現在の市役所前の通りを東に向って進まれたが、道路の両側で日の丸の小旗を振って奉迎する市民の歓呼の声に会釈されながら通過された。沿道には約三万人の市民が迎えたのである。
 途中、服部町への道端でしばしお車を降りられ、上野市と名賀郡から選ばれた男女15名の牛馬耕作業をご覧になられ、このあと柘植中学校の阿山郡歓迎場へ向われた。一周。前列には各団体の代表をはじめ、 高齢者、傷病者、留守家族、未亡人、消防団、学童代表らが参列。崇廣中学ブラスバンドの吹奏楽の伴奏で君が代を合唱。中井徳次郎上野市長の発声で万歳をすると、陛下は帽子を持った右手を高々と挙げて歓呼の声に応えられた。
 このあと陛下のお車は、現在の市役所前の通りを東に向って進まれたが、道路の両側で日の丸の小旗を振って奉迎する市民の歓呼の声に会釈されながら通過された。沿道には約三万人の市民が迎えたのである。
 途中、服部町への道端でしばしお車を降りられ、上野市と名賀郡から選ばれた男女15名の牛馬耕作業をご覧になられ、このあと柘植中学校の阿山郡歓迎場へ向われた。