| 郷土史あれこれ |
第八十三国立銀行
三重県で初めての「銀行」が作られたのは、上野の町であった。
明治11年11月18日のこと。まだ町制が敷かれていなかった当時、「阿拝郡上野中町44番地」に、「第八十三国立銀行」が開業した。この三重県最初の銀行発祥の地は、現在の上野ふれあいプラザの位置で、建物はのちに上野町役場、上野市役所として使われた。
近代国家の樹立のため、主として伊藤博文が中心となって、アメリカの国法銀行制度をモデルに、明治5年11月に国立銀行条例が制定された。この国立銀行設立の目的は、政府の不換紙幣の整理と金融の疎通にあった。したがって、「国立銀行」と言っても、政府経営の銀行ではなく、国の法律によって設立された、いわば「国法銀行」で、当時は国立銀行以外に「銀行」を称することが禁じられていた。
第一国立銀行は、この銀行制度の模範となるように、政府勧奨のもとに東京に設立された。土地の人に「はっさん銀行」として親しまれた八十三銀行は、現在の阿山町西湯舟の旧無足人家で「かせ甚」と呼ばれた素封家・服部甚蔵康盛を頭取に、上野市万町の士族・菊本保有を支配人としてスタートした。資本金は五万円であった。
服部・菊本両名の名前が記載されたハイカラな紙幣が発行され、服部は「銀行の紙幣へ頭取・服部甚蔵の姓名を記載し、皇国一円に流通させる事となったのは不肖康盛の歓喜とするところ、家慶も之より大なるは無い」と自らの一代記にその感動を記している。
能楽の観世家も、先祖は同じく伊賀の服部一族。しかし、服部家の家紋が源氏車に二枚矢羽であるのに対し、観世家の家紋は矢筈車紋である。その服部家には、かつて数多くの能面が所蔵されていたが、大正時代の経済界の変動でつぎつぎと姿を消していったという。
国立銀行は、県都を中心に比較的分散して立地されたので、地方における商品生産や流通の発展、企業一般の社会的地位を高めるなど、一定の役割を果し、八十三銀行はのちに百五銀行に吸収合併された。