| 郷土史あれこれ |
伊賀の巨人・岩野森之助
異常な記憶力と超人的行動力によって、生存中から伝説の人物となった在野の学者・南方熊楠を、人は「巨人」と称するが、上野の医師・岩野森之助もまた「伊賀の巨人」と呼ぶにふさわしい人物である。
岩野は明治六年(一八七三)、現在の青山町柏尾の医師の子として生れた。苦学の末、医師となった岩野は、故郷に錦を飾り、のち上野町に医院を開業した。
岩野は医業の傍ら、生涯を賭けた三つの事業を手掛けた。その一つが伊賀国民教育会の設立と夏季大学の開設。大正という新しい時代を迎えて、何かの形で社会への恩返しをしたいという思いから教育会を設け、亡くなるまでの二十三年間にわたって、一流学者・文化人を上野へ招いて夏季大学を開いた。
その二つ目は、選挙粛正運動である。政界の腐敗、選挙の積弊を痛感していた岩野は、後藤新平が主唱していた政治の倫理化運動や尾崎行雄の政界革新選挙運動に共鳴し、各地で選挙粛正の講演会や講習会を開催、そのたびに大きな鞄にリーフレットをぎっしり詰めて、全国各地に飛びまわった。その全国遊説は東北から九州にまで及んだという。
その三つ目は、衛生省設立要求運動である。現在の厚生労働省の前身は当時、内務省内の一局である衛生局でしかなかった。これを省に昇格させるための建白書を岩野が書き、自ら同設置同盟総務主事となって、全国の医師会組織へ呼びかけた。岩野の献身的は運動によって、衛生局の省昇格は、彼の没後二年足らずで「厚生省」として実を結んだのである。
自らは酒を嗜まず、煙草を喫わず、理財に恬淡で、常に公のために献身的に働いた人であった。また、ある人は、他人の言うことをすべて善意に解釈する人と評している。
選挙粛正運動の全国遊説、衛生省設置を求めるための上京など、多忙を極める中で、病に倒れ、発病から僅か1か月後にこの世を去った。享年64歳であった。