郷土史あれこれ       

旧小田小学校本館

  上野市小田町の高台に建つ旧小田小学校本館は、明治14年10月に建てられたもので、現存する小学校校舎としては三重県下で最も古い建物である。
  明治5年に学制が公布され、小田村では、同時に村田順造ら有志によって法運寺に夜学校・思志社を設立、これがこの地区での初等教育の始まりで、初日に97名の参加があった。同8年8月に小田学校が開校、つづいて同14年に啓迪(けいてき)学校と改称されて現存する建物が建てられた。木造洋風二階建て、寄棟造り、桟瓦葺で、壁は総漆喰仕上げ。最も意匠をこらしているのは正面ポーチで、中央部に膨らみをもたせた洋風の円柱の柱の間は、階上・階下ともに吹き放ちとなっている。玄関入り口の上部には竜の彫刻がはめられ、また二階バルコニー境には、創建当時わざわざ神戸まで買いに行ったというギヤマンの色ガラスのガラス戸が四枚入っていた。
  当時の小田村は明治3年の大洪水(いわゆる午年の水害)で大きな被害を受け同6年4月から同10年7月までかけて、集落を高台に移す「避水移居」事業を終えたすぐあとで、経済的には余裕が無かった。しかし教育に対する関心が強く、当時の伊勢新聞はこのハイカラ校舎の建設について「小田村といふ村落は上野の町続きなるが今頃一の校舎を新築せり。該村ハ戸数は僅に二百有余戸にして三千六百余金を醵集せりを以て篤志家の多きを知るべし(中略)此巨大なる新築を為せしハ全く一村人民の能く一致協力せし故なりとぞ感ずべきことなり」と賞讃している。
  その後、政令などによりその名称に変遷があったが昭和40年3月末、児童数の減少により90年の歴史に幕を閉じ、西小学校に統合された。
  地区民の熱意で守られてきたこの校舎は、近代初等教育の草創を象徴する記念物として、昭和50年に県の文化財に指定され、さらに平成2〜6年の半解体修理の際、太鼓楼が復元された。現在は近代初等教育展示室として一般公開されている。