郷土史あれこれ       

上野の電話事始め


 上野市(当時は上野町)に電話が開通したのは、明治43(一九一〇)年3月1日のことである。
 それより先、上野郵便局長であった廣山金之助は、伊賀地域の開発の導火線は何よりも電話の架設であると考えていた。そこでまず実業家の吉岡健三郎(魚町)と信託業を営む玉井定次郎(赤坂町)を誘って、局の一室で会合。42年2月5日のことである。
 廣山局長の計画を聞いた吉岡と玉井は早速翌日から加入者を求めて勧誘活動を開始。その結果、60余名の賛同が得られたので、その調印連署を携えて逓信省名古屋監理局を訪問。局長はその労を多としながらも「津上野間の工事費に四千七百円を要する。もしこれを全部地元で寄付していただければ、本年中に架設しよう」と回答。数次にわたる交渉の結果、寄付金は三千五百円と決り、逓信大臣宛の請願手続きを完了した。
 局舎の改築に要する三千円は廣山局長が自ら私費を投じることになり、3月29日、80名の加入者をもって第一回の総会を開催。3名の発起人のほか、筒井喜一郎、田中善助、廣部貞郎、福山治助の4名を事業推進のための設立委員として選んだ。そして、6月20日になってようやく事業の許可が下ったのである。
 当時の地元新聞の報道によると、「11月20日に膽礬(たんばん・硫酸銅)注入所試験を服部川原で行い、翌月20日に注入所を設置した」となっているが、電話の架設にそうしたことが必要であったということは、今となっては理解しがたいことである。
 交換局の建設に局長がさらに三千五百円の私費を投じ、磁石式(単式)交換機一台が設置された。2名の事務員が名古屋で二ヶ月にわたって電話交換技術修得のための講習を受け、帰局後の普及伝達講習で計5名の交換手が誕生した。
 電話番号は一番伊賀上野銀行、二番上野区裁判所、三番第八十三上野銀行、四番阿山郡役所と続き、開通以来百年近くを経て、今もこの時の番号を使用している加入者もいる。