| 郷土史あれこれ |
「模範村」と呼ばれた村
明治二十二(一八八九)年四月に市町村制が実施された。三重県下ではそれまで一八一七町村であったものが、一市一八町三一七村に統合され、これによってそれぞれ新しい自治体での行政執行が始まった。
内務省は、これらの町村の自治振興を促進することを意図して、優良自治体の奨励規定を制定し、各府県に対し調査報告の依頼を告示。その優良町村の要素として、事務の整理、納税成績の良好、就学歩合の優良、農事改良、衛生施設の完備、協同緝睦の実績などを挙げていた。
その結果、大正十年までに全国で八一町村が選ばれたが、三重県下では阿山郡玉瀧村、鞆田村、小田村の三村が選ばれ、俗に「全国模範村」と呼ばれた。
玉瀧村は木津慶次郎村長のもと、@農作法ヲ改良シテ其ノ産額ヲ増加スルコト、A米選俵装ヲ改良シ販路ヲ拡張スルコト、B共同販売ト共同購入ノ組合ヲ設クルコトなど六項目からなる村是を定めて実行、実績を挙げた。内務省から出張した者は「人情質朴ニシテ勤勉ノ美風ニ富ム」と報告し、明治四十四年、全国に先がけて模範村に選ばれた。
鞆田村は高島多兵衛村長のもとで、特に養蚕奨励規則を定め、開墾地桑園に奨励金を交付するなど、副業としての養蚕の普及と改善に力を注ぎ、「民俗淳朴ニシテ勤倹ノ美風ニ富ミ、克ク共同一致シテ」と報告され、四十五年に選ばれた。
小田村は郡内第一の小村で、低地に立地し、明治三年の「午年の水害」では河川の氾濫によって大きな被害を受けた。そのため高地へ集団移住する避水移居事業を断行。同十年に完了したが、その工費は五万三千円を要した。さらに同四十一年から耕地整理事業に着手。十か年の歳月と二万二千余円の巨額を投じたこの大事業は、大正七年に完成。この間、今も残る小田小学校の建設や、その後の青年団員の労力奉仕による校舎増築などを行い、これら村民の勤勉力行、一致協力の美風と実績が認められ、大正八年に「全国模範村」として表彰された。