郷土史あれこれ       

伊賀の歴史の父 佐々木彌四郎先生

  伊賀郷土史研究会の前身である「伊賀史談会」が創立されたのは、明治43年(一九一〇)10月18日のことである。
  この日、上野町丸之内の図書館茶寮に集まったのは発起人の村治圓次郎、筒井喜一郎、田中善助、服部孝太郎のほか、佐々木彌四郎、乾金之助、澤 雄、山中榮太郎、永濱 出、三田村上介、廣部貞郎、菅野原造ら二十余名。
  その中心となったのは三重県立第三中学校(現・上野高校)教諭の佐々木であった。佐々木は明治8年、岐阜県恵那郡坂本村(現・中津川市)に生れ、地元の小学校訓導として勤めるなか、独学で小学校教員資格を得、さらに中学校教諭検定試験に合格し、明治36年5月、上野町の三重三中に赴任、歴史・国語・法制経済を教えた。
  史談会を結成するや、以後、岡田榮吉を指導し、三田廃寺址を発掘するなど、晩年に至るまで伊賀地方の調査研究に没頭した。その結果、伊賀に於いて、多数の国指定文化財を見るに至った。
  菊山當年男の家に間借りしていた佐々木の日常生活は、学校から帰ると、八畳の書斎に閉じこもり、食事のほかは絶えず机に向って読書をしているか、ペンを走らせ、休日は一足の草鞋と一包みの握り飯を持って実地踏査に出掛けていたという。
  教え子のひとり、横光利一が、佐々木をモデルに小説「馬車」を書いた昭和7年、脳溢血の徴候によって身体が多少不自由になったことから、上野中学を依願退職。二十九年間にわたる三重三中(のち上野中学)での教員生活にピリオドを打った。
  その後、名古屋の長男宅に転居し、そこで昭和10年8月22日亡くなった。9月29日、上野中学校講堂に於いて、上野中学校同窓会・伊賀史談会・阿山名賀両郡上野町による合同慰霊祭が盛大に執行された。のち、佐々木の論文集『伊賀史の研究三十年』が、薫陶を受けた岡田榮吉の手で編さんされ、伊賀史談会が昭和12年2月に刊行した。