| 郷土史あれこれ |
上野の劇場、映画館
上野の町に芝居小屋(のち劇場、さらに映画館へ)ができたのは、いつ頃か。
天神裏に治田屋市兵衛が「亀屋座」を建てていて、明治15年の嵐吉三郎公演の芝居番付が残されている。
忍町の「旭座」は、明治16年10月新築。同36年劇場に改修、大正10年映画常設館「日活旭座」となり、相生館と共に活動写真の全盛期を迎えた。その後、昭和34年上野大映となったが、同38年にこの地に岡田屋が開店して、伊賀で最も歴史のあった劇場が姿を消した。
明治24年9月末、菊山金之助らが菅原神社に隣接する丸之内の角櫓をこぼって新築したのが「菅原座」。しかし同35年1月11日未明出火、全焼した。この時かかっていたのが『菅原伝授手習鑑』で、嵐佳丈一座の衣装などを焼いた。その跡地へ江村某が建てたのが「大江座」。明治43年2月のことで、大勢樓が催主となって三日間にわたって祝いの余興興行を開いている。ところが大正7年1月4日未明に出火し、全焼する事件が発生、つけ火らしい。
この時も『菅原伝授手習鑑 』を興行中で、何とも因縁めいた話である。
菅原座と同じ頃に忍町に吉岡武男の「一力座」があり、明治末年にはまだ存在していたが、閉館時期は未詳。金光教会がその跡地。
大正8年8月に丸之内の現京家あたりに土木請負業の広栄太郎が「広栄座」を開館したが、活動写真に押されて昭和17、18年頃にあえなく閉館した。
相生町の「相生館」は大正10年に開館。松竹相生館、上野日活などと名称を変えながら旭座と共に、一時期の上野の庶民娯楽を支えたが、テレビ時代となり、昭和37年1月末を以て閉館。
市駅と本町通りを結ぶ新天地が開通し、昭和26年4月22日に、鶴田浩二、桂木洋子主演の『男の哀愁』をひっさげて「上野映劇」が開館。さらに昭和30年10月忍町に「上野東映」がオープン。今井正監督、江原真二郎主演の『米』を封切、一時は市内に四館を有したが、その後に開館した産業会館の「US劇場」を含めて、時代の波と共につぎつぎと閉館。今は「ジストシネマ」を残すのみである。