郷土史あれこれ       

幻の姉妹都市提携

 上野市で生れた最高の人物といえば、俳聖・芭蕉翁であることに異論はなかろう。その芭蕉と英国のシェークスピア(沙翁)、それにドイツのゲーテを加えて一般的に世界の三大文豪と言いならわしている。
 そこで、上野市では現在沙翁の生誕地であるストラトフォード・アポン・エーボン町と友好関係にある。即ち、かの地の沙翁生誕祭に上野市長が招かれ、その返礼として芭蕉祭に町長をお招きしている。
 ところで、ゲーテの生誕地はドイツのフランクフルトだが、かつて上野市は当時の西独南西部の工業都市エスリンゲン市と姉妹都市提携を結ぼうとの動きがあったことを覚えている市民は少ないだろう。
 時は昭和38年8月の事。日独親善交流に力を注いでいた川崎秀二代議士から豊岡益人市長に縁談話が持ち込まれた。先方は川崎氏の勧めで、7月に既に議会で都市提携が議決済みとのこと。一方、上野市ではそれを受けて、8月12日の全員協議会でその件が諮られる ことになった。新聞報道では「満場一致可決の見込み」と書かれ、市長の提案に早速「いいやないか」との声がかかったが、M議員は「ドイツは東西に分れているし、不安定だ」と反対意見を出し、N議員は「姉妹都市となって、上野市にどういう利益があるのか。もっと検討してからにしてはどうか」と慎重論を出した。
 市長の「あまりムキにならずに、政治抜きのもので…」に対し、M議員は「ドイツの少年との交歓は、政治性があり、反対」といきまく始末。結局、議長が「エ市は詩人シラーの生れた町だといわれても、誰も知らんから、まず研究ということで保留」と締めくくって、議論は終った。
 ところが二年間が経過した同40年8月。日独青少年交歓で上野市から役員として訪独した村主氏らがエ市の市長や議長から「ぜひとも正式な盟約を結び、両市の交流を深めたい」と強く要請されて帰国した。
 しかし、その報告を受けた山本忠雄市長は、もはやこの縁組をそれ以上に進展させることをしなかった。