| 社長インタビュー |
『伊賀肉の金谷』の社長、金谷律さん
「お客様に満足していただけるものを提供し続けたい!」
―伊賀の人で、『伊賀肉の金谷』の名を知らない人はいないと言っても過言では降りませんが、創業はいつですか?
A 現在のような業態になったのが昭和3年です。もともとは先々代の金谷清三郎さんが、明治35年にはじめた家畜商でした。そして、明治38年から東京へ伊賀牛を出荷し始め、伊賀牛は優良な肉質だと東京で評判になったそうです。当時を知るエピソードとして、伊賀牛はカネカ印の木札を付けていたので、カネカ牛とも言われていたのですが、伊賀牛でなくても、その木札を拾って肉牛につけて売ると、その肉牛は高く売れたというエピソードが残っています。カネカ印は金谷の屋号です。
―しかし、現在は松阪牛のほうが有名ですが?
A 松阪の和田金さんも同じ時期から東京に松阪牛を出荷しており、太平洋戦争を境に東京に出荷しなくなったことも手伝って、伊賀牛の名声は衰えていったのです。要は、宣伝不足でしょう。ただ、ロース肉だけは東京に出荷していました。しかし、それは伊賀だけの需要では消費しきれなかったからで、戦前のように伊賀牛の名声を高めることには繋がりませんでした。
―『金谷』さんの成功は、伊賀地域外のお客さんを呼び込めたからだと思いますが、その要因は?
A 昭和41年の名阪国道の開通、高度経済成長、生産農家の方々の御尽力、そしてお肉を食べられる肉屋が弊店だけだったことです。まず、名阪国道の開通は、伊賀に来る観光客を格段に増やしました。そして、高度経済成長は世の中を豊かにし、値段を問わずよい肉を求める人を増やしました。弊店はそれに応え、高級なイメージで捉えられるようになりましたが、弊店で伊賀肉を食べたひとが、「伊賀肉はおいしい」と口コミで宣伝してくれたのです。もちろん、おいしい伊賀肉を生産し続けて頂いた肥育農家あってのことです。
―宣伝広告は?
A 口コミで広まったということで自信がつき、広告を出してでも、もっとお客さんに来て頂こうと思うようになり、各地に出すようになりました。
―なぜ「すき焼きの金谷」なのですか?
A 創業当時はすき焼きだけだったのです。昭和54年の増築と共に、網焼きや、ステーキ、バター焼き、しゃぶしゃぶをし始めたのです。
―伊賀肉へのこだわりは ありますか?
A 肥育組合との信頼関係で一番高い伊賀牛を注文しています。良い牛の条件としては、血統がよく、体系がよく、体重があり、肥育年数が長いことです。肥育年数が長い牛のほうが、肉として旨みがあるのです。伊賀肉になるには、最低2年の肥育年数が必要なのですが、実際はもっと長い肥育年数の牛が欲しいのです。しかし、近年は需要に供給が追いつかず、生産農家も年々減っており、名阪国道開通以前より肥育年数は短くなっています。それでも、伊賀の風土が産み出す旨味に感謝しています。ここだけの話ですが、バブル崩壊後は少し需要が減ったので、肥育年数が延び、バブル時よりもおいしくなっています。
―インターネットの活用など、今後の方針は?
A 今まで通り、お客様を裏切らない、良質なお肉を提供することを第一に考えています。現在でも需要に供給が追いついていない状態なので、インターネットを利用して宣伝をしようなどとは考えていません。
| 金谷 律さん 昭和33年(有)金谷へ。 同49年社長就任。名張市黒田出身。 |