社長インタビュー       

(有)宣旺社の富田弘造社長

「よりよいサービスを提供することによって、伊賀地方に貢献していきたい」

―上野に来られたきっかけは?
A 戦争による疎開です。父が上野市で亜炭と粘土を採掘する上野炭鉱という会社をしていた関係で、昭和16年に上野に疎開して来たのです。それ以来、高校の途中まで上野で暮らしていました。
―上野で商売を始めた理由は?
A まず義父の会社、久居プロパンを手伝うために、父の秘書を辞め、上野に帰ってきました。しかし、私はその仕事があまり好きではなかったので(株)上野ガスに会社を吸収してもらい、昭和39年に宣旺社という毎日新聞の伊賀管内での広告代理店を始めたのです。しかし、毎日新聞は伊賀地方での部数が少なく、営業的に難しかったので、業務店向けのマッチ、うちわ、カレンダー、はし、はし袋、タオルなどをつくる事業を始めました。結局、広告代理店の方は3、4年で辞めましたが、後者の方は、昔からのお得意さんを中心に、今でも続けています。
―シャディの代理店を始めたきっかけは?
A 業務店向けのマッチなどの制作・販売も競争が激しい上に業務店自体の浮き沈みも激しく、「納品して集金に行くと店が変わっていた」ということもありましたので、もっと安定した商売をと思い、昭和49年にこれから伸びるであろうと思ったカタログ販売、それも有店舗カタログ販売を展開していた、当時はハヤシシン・チェーン(株)といっていましたが、シャディの上野での代理店を始めたのです。
―成功の要因は何ですか?
A 一言でいうと、シャディの戦略どおりにやってきたということなのですが、弊社は単一の個人商店でギフトを扱っているところと違って、シャディの商品を扱っているので、品数が豊富な上に折り込み広告などの経費も本社の一括印刷なので安く上がります。それらの点で、昔からある個人商店さんよりアドバンテージを持っていましたし、昭和50年後半からコンピューターを導入し、商品管理、顧客管理をし、定期的にDMを送るなどして、お得意様を増やしていけたということだと思います。コンピューターの導入は、当時一〇〇〇店舗以上あったシャディの代理店の中でも、最も早かったのです。
―独自の工夫は、何かされていますか?
A 「地元の特産品を」と思い、伊賀焼きを置いてみたこともありましたが、伊賀には窯元や専門店があるので売れませんでした。ですが、伊賀の特産品をシャディ本社に紹介し、カタログに載るようになったものもいくつかあります。今でしたら、伊賀の酒を扱いたいと考えています。―インターネットの商用利用については、どのようにお考えですか?
A すでに平成8年からホームページを開設しています。問い合わせや注文が来るのに3年かかりましたが今では利益も上がるようになりました。ネット詐欺が横行しているので、商品の発送はあくまで代引きです。このホームページの開設はシャディの約三〇〇〇の代理店だけでなく、本社よりも早く、シャディ内のサンプル店として注目されました。
―先日、佐那具町にサラダ館がオープンしましたが、どんな経緯からですか?
A カタログやネットで注文される方もおられますがお店に来てくれる方もたくさんおられます。その場合今までなら西日南町の本店まで来てもらわなくてはいけませんでしたが、地理的にわかりにくいところにあるので、商圏ではありながら上野市東部や伊賀町、阿山町の方々には不便を強いており、以前から何とかしたいと思っていました。そこへ、サラダ館という名の小規模店を増やしていくという本社の戦略があり、小規模店ではないのですが、国道25号線沿いへ出店することを決めたのです。
―今後の展望は?
A 今まで以上に新しい情報を発信していき、地元の人に喜んで頂けるようなギフトショップになれるようがんばっていきたいですね。

富田弘造社長東京都大田区出身 上野高校―法政一高―中央大学―旧和 歌山2区選出田淵光一代議士秘書―久 居プロパンー昭和39年宣旺社(現(有) 宣旺社)創業