| 社長インタビュー |
(有) 京華 前沢くみひも工房の前沢恒身社長
「伝統品だからこそ、新しい価値感を見つけ出す喜びがある!」
―伊賀組紐の歴史は?
A 明治時代に広沢徳三郎(現広沢徳三郎の先々代)さんが東京から技術を持って帰ってきて、女性の内職として始まりました。
―伊賀組紐が全国的に知られた理由は?
A ご存知のように伊賀は四方を山に囲まれ、もともと農業以外にあまり産業がなかったのです。組紐は農閑期の特に女性の内職にちょうどよく、伊賀中に広まりました。そして、地理的に京都に近かったために必然的にシェアが広がり、全国に知られるようになったのです。
―組紐の職人は女性が多いのですか?
A はい。弊社の職人も皆女性です。
―社長さんや専務(息子)さんは組まないのですか?
A 見本は組みます。組紐には手組みと機械組みがあって、手組みの場合、頭でイメージしたデザインを組み、綾書という組み方を書いた暗号と見本とを職人に渡します。機械組みの場合は、それ用のソフトがあって、パソコンでデザインし、機械用の綾書を機械にインプットします。また、製品を高級化する為に、一度機械織りで素材としての組紐
を織り、それを原材として、手組みをするという複雑なものも考え出されています。
―昨今の着物離れからの影響は?
A 着物が普段着からフォーマルに変ってきたことによって、帯留めとしての組紐の需要は明らかに落ちました。近年の着物の需要と言えば、七五三、成人式、結婚式ぐらいなものです。ただ、団塊の世代が成人を迎えた昭和40年代前半や第二次ベビーブーム世代が成人を迎えた平成3〜5年頃は、一時的に帯留めとしての組紐も売れましたが、少子化も手伝って元来の帯留めとしての組紐の需要は、年々落ち込んでいます。
―ー海外製品の影響は?
A 組紐は昭和40年以降、海外でも生産される様になったのですが、当初は安いだけで技術もデザインも全く国産ものにはかないませんでした。しかし最近では、技術力も向上していて、なおかつ安いのです。人件費もありますが、原材料の絹の値段が格段に違うのです。何故かというと、政府が国内の養蚕業者を守るために、輸入絹糸に高い関税をかけるのです。しかし、輸入組紐には普通の関税しか掛かりません。外国産の組紐を扱う新規の中間業者も出てきています。着物離れにより市場は狭まっているところに、新しい競争相手が出てきているのです。こうして、昔ながらの紐屋は減って来ています。
―対策として取り組んでいることは?
A 帯留めだけでなく、アクセサリーや最近では携帯電話のストラップなどの小物品も製造しています。外国産には価格では太刀打ちできないので、個別化を図ることを考え、注文に応じてイニシャルを入れてみたり、伊賀をアピールするために伊賀弁の文字や忍者のイラストを入れたりしています。
―今後の方針は?
A 現在、伊賀組紐組合ではホームページを作ってインターネットで全国に伊賀組紐をアピールしています。弊社ではまだしていませんが、近い将来インターネットを使って直接全国の消費者に売っていきたいと思っています。インターネットの出現によって、我々のような小店でも全国に製品をアピールする手立てが出来たのですから、これを使わない手はないと思っています。ただ、既成の製品の場合、昔から付き合いのある業者さんの手前難しいので、新しい製品を開発して売っていきたいです。特に手組みの場合、同じデザインのものを組んでも、ひとつひとつ色のくすみ具合や柄の出方が微妙に違い、世界に一つしかないものが出来上がります。その「世界に一つ」という価値をより知って頂いて、その価値観を売っていければと思っています。
| 前沢恒身さん 上野市依那古出身 上野高 ー前沢組紐店 {現(有)京華} |